記憶のゆりかご

 

 

 

Twitterハッシュタグ #あなたの田村ゆかりはどこから です。

 

前日はぱーりんかさん「チケ代移動費打ち上げ代全部出すけど、行く?」でした。

 

Heavenly Starsいいですよね。ぱーりんかさんの一命を取り留めた入りの歌詞。イイハナシダッタナー。遠くへの転勤だったり、キャリア積むハードルートだったり、ライフイベントだったりで田村ゆかりさんから離れなきゃいけなくなったりするのつらいなぁ、と端から見て思います。この曲はツーバス?(ですよね?"Heavenly Starts" "ツーバス"で検索かからなかったから自信がない。ドコドコドコドコしてるドラムが好きです。叩けたら楽しいんでしょうね。ライブでは聴いたことないかも。ん…2020年のFCイベでやったの(参考: Heavenly Stars - 田村ゆかりライブ/イベント採用曲まとめ)…?定員半分で落ちたやつ…。他の曲も久々のあるじゃん…もう今日帰って良いですか…?

 

 

Bar Pálinkaには久しく行ってないのでまた行きたいですね。周年イベント行きたかったわん。パーリンカ、おいしいので是非飯田橋のBar Pálinkaさんに行ってみてください。予約はした方がいいと思います。以前入れてもらったサイレントプール(ジン)のレアシトラス、まだあるのかしら。

 

ぱーりんかさんに記憶のゆりかごに触れていただきましたが、これは田村ゆかりさんのキャラクターソングのタイトルなんじゃよ。

 

 

 

田村ゆかりさんとの出会い、これは2段階あって、ひとつは田村ゆかりさんの声との出会い、ふたつめは田村ゆかりさんのライブでの出会い。人によってはライブが最初だと2つ一緒になったりするわけです。まぁそういないとは思いますが。近年は昔に比べて業界がライブを押している気がしていて、ライブに行くハードルがそんなに高くないのかな、と感じている今日この頃です。まぁライブを見るために遠征するとなるとそこにはハードルがあるし、地方公演全部行くわっていう人はハードルを全速力で倒しにいってる様にも思うのですが、それを考えると地方の人的には依然としてハードルはあるのかな、と。これまでの記事を読んでいると、地元に来てくれたから行けたという話があり、地方公演ありがたいな、と思うのでした。

 

さてさて、私が田村ゆかりさんの声に出会ったのは19年前のことでした。

 

田村ゆかりさんの声との出会い - 2 Decades Before

 

田村ゆかりを初めて知ったのは2003年の夏クールと秋クールの間ぐらいでした。親にバラ色の人生があるとそそのかされ、中学受験戦争を勝ち抜き、西日暮里の駅前にある中高一貫の男子校に進学した私。後にAERAに男子校 オタクのゆりかごという記事が出るぐらい、男子校はオタクに寛容でした。しかも秋葉原まで5駅。気合いを入れれば歩いて行けるぐらいの好立地。教室に漫画とかラノベを持ち込んでる人がいて、割と回し読みでゆびさきミルクティーとかあずまんが大王かってに改蔵等貸してもらって読んだ記憶があります。ネギま!の第1巻を読んだのが秋の文化祭の時とか。

自分のテレビが欲しいと親にねだり、自分の部屋にブラウン管のテレビデオを夏に買ってもらうと、ちょくちょく深夜にテレビをつけ、何か面白いのがやってないか探したりしていました。アニメ雑誌等は買っていなかったので、新聞の裏にあるラテ欄…ではなく、中の方にあるラジオ局とか地方局の、省略してあって元のタイトルがよくわからない深夜のあたりを頼りにもしました。

そんな中出会ったのが、田村ゆかりさんが芳乃さくら役として出演していたD.C.ダ・カーポ~でした。20037月から2クールの作品だったので、見始めたのは途中から、もちろん今のような配信サービスなどなく(というか今の中高生って配信サービスとか契約してるんだろうか?レコーダー?毎週無料配信で見る?)、話の流れがよくわからないまま見ることになりました。公式サイトで過去のあらすじは読んだかもしれません。このアニメは、キャラソンMVを流したり、サイドエピソードという本編とはほぼ関係のないアニメ作品を流したりしていたのでなかなか不思議な感じでした。キャラソンMVが流れてるのは時期的に見られなかったのですが。ありがたいことに、本編については見てない第1クールはギャグ多めのありがちなラブコメでメインストーリーは第2クールの中盤に入ってからだったので、幸運にも話についていけました。総集編もありましたし。このアニメはEDが未来へのmelodyから存在に変わってからが本番なのです。存在、良い曲。

D.C.シリーズは今もナンバリングタイトルが出ていて、物語の舞台が大幅に変わった(ジョジョの奇妙な冒険ストーンオーシャンスティール・ボール・ランぐらい違う。別世界のDIOがやってくるっぽいのもあった気がする。)最近のタイトルのD.C.4D.C.5はローマ数字ではなくなってしまったのですが、ローマ数字のタイトルD.C.D.C.IIIというのは正史ヒロインは各作品別にいるし、初代以外さくらの個別ルートはないのですが、まさしく芳乃さくらの物語で、IIIは声優さんが変わっちゃっいましたけど初代とIIの声優さんは田村ゆかりさんなのでよろしくお願いします。あ、全年齢版の話です。cf.)ようかんまんさん

恋チョコのキャラソンだと中村先生のMy Dearest! My Darling!が好きです。

 

ということで芳乃さくらの物語であるところのD.C.ダ・カーポ~のアニメのクライマックスは私のTwitterアカウント名の由来となった朝倉音夢ちゃんを差し置いて田村ゆかりさん演じる芳乃さくらがメインになっています。声優さんってすごいなぁと思った気がします。

この記事を書くにあたって前に買ったBD-BOXが買ったまま開けてなかったので見返したところ、芳乃さくらというキャラクターが喜怒哀楽あり・二面性ありの感情豊かに演じられていて、約20年前のゆかりんすげーと改めて思ったのでした。BD-BOX、声優さんのMV入ってないんですね。まぁDVD-BOXあるんでいいですけど(?)

D.C.ダ・カーポ~のアニメはいいぞ

中高時代、平日は母が弁当を作ってくれたのですが、土曜日は友達と食べる、といってもらった500円が積み重なり、お年玉もあってDVD-BOX III, IV(最終巻)と買って、誕生日が8月なので祖父母からもらったお金をDVD-BOX I, IIに使ったら父に怒られる、というのも懐かしいです。

月の魔法で恋したい のMVはいいぞ



DVD-BOXの後にサイドエピソード / メインストーリーのDVDがそれぞれ出たのも不思議でした。田村ゆかりさんがFCイベで以前歌った銀の泡沫はその時に新規OPが作成されたものです。

くろこねこさんが触れてたD.C.P.S.も買ってやりました。

今はAKB劇場やドン・キホーテが入っているあの建物がアキバのアソビットシティだった時代。PCゲームのときに7人だったヒロインがPS2移植で13人に。今からするとすごいバブルですね。当時は美少女ゲーム原作のアニメがそこそこあってバブルだったのかもしれません。合格祝いで買ってもらったPS2をリビングから自分の部屋に移し、寝不足になりながら最後D.C.ルートが出るまでやりました。

 

人生で最初に買ったCDD.C.P.S.C.S.2D.C.P.S.のキャラクターソング集の第2弾。そこに収録されていたのが「記憶のゆりかご」。1番の伴奏抑えめな雰囲気から2番で一気に伴奏入っていく感じ、オタクが好きなやつですね。これをまさかライブで聴くことになるとは思ってなかったし、ライブ自体も意識してなかったですね。今からすればD.C.のライブ申し込めばと思ったりもするのですが…。

当時住んでいたのが千葉県だったので、D.C.ダ・カーポ~、君が望む永遠一騎当千の順で見てたのが印象的。君が望む永遠、序盤でマジかってなるじゃないですか。やー。

君が望む永遠については日向修二さんが触れてらっしゃいますね。

ameblo.jp

ゴクラク!もえもえステーションが土曜日でアニメが日曜日な感じだったか。初音島放送局ゆかりんの声を聴いていた気がします。もう20年前のことはあんまり覚えてない…。記憶を元にWikipediaで調べて確かめながら書いてる部分があります。

 

中高生時代、覚えていることいくつか。

 

魔法少女リリカルなのは。中2の時か。OPLittle Wish 〜lyrical step〜カップリングであるSweet Darlin'が記憶に残っているので、田村ゆかりさんのラジオもどこかそのタイミングで聴くようになったと思います。最初に買った田村ゆかりさんのCD琥珀の詩、ひとひらデジパック仕様。AMBER最初に聴いてすごかった。〜first stepなんぞやになった記憶。別バージョンというのはラジオで聴いたのですが。

 

極上生徒会が中3のとき。ゆかりん演じ分けててすげぇな、となったやつ。文化祭の中学生徒会の企画名はもちろん(?)極上生徒会でしたね…。偶然天使、好きでした。Butterfly*kissはTVCMで聞いた記憶が強いです。

 

 

堀江由衣さんのオタクがクラスにいて、CD3枚ぐらい貸してもらった記憶も。

 

 

Roman。カラオケでサンホラ歌われるとびびりません?なぜ、なぜなの、なぜなのよ?ローランからRoman借りて聴きました。なんか衝撃でしたね。そこにロマンはあるのかしら?の声を田村ゆかりさんと能登麻美子さんが演じているので聴いてみてください。Re:Master、そういうのもあるのか。

 

水樹奈々さんのライブに行った友人がいて、そこで買ったらしいペンケースを見せてもらった気がする。コミケとか行ってる人もいたし、今から思えば、その時にいろいろ行っておけばよかったなぁと思った。

 

 

田村ゆかりさんのライブでの出会い - a Decade Before

 

運動会ひゃっほいな中高にいたので、そこで燃え尽きてしまったというか、焦って勉強が手につかない感じで高31年間を過ごしたせいで現役時代は大学単騎不合格、その後浪人してなんとか大学に入るのでした。

運動会の血湧き肉躍る感じが好きだったんですかね。父が昔ラグビーをやっていたというのもあったかもしれません。入学手続きを終えた後に通される新入生歓迎の長いテント列で勧誘を受けて、いつの間にか運動会(他大では体育会という。行事の運動会とはイントネーションが違う)ラグビー部に入部してしまったんですね。中高時代はソフトボール部で週3回の練習、たまに生物部とか模型部に出入りし、サンライズ作品研究同好会に名前だけ貸してた私が週6!?まぁ最初は週3とかだった気もしますが。同期に花園経験者が3人いてそのうちの一人は現役で決勝までいったやつ、みたいな環境でした。まぁもちろん全員一緒に練習するわけではなく、シニア・ジュニアというチームの区別で上級生と上手いやつはシニアという中で初心者の私はジュニアでしたが。

ポジションは3プロップを目指していました。スクラム第一列中央に向かって右側の人です。タイトヘッドともいいます。このポジションはスクラムを組むのが一番の役割なので、とにかく体を大きくしなくちゃいけないのですが、体重足りずにロックをすることが多かったです。太るのも才能がいるというか、なかなか高強度の練習をしながら筋トレをしてご飯をたくさん食べるというのは難しいことでした。

1年生の時の家が遠くて大変でした。千葉県から駒場はちょっと無理がありましたね。片道2時間ぐらいかけて大学に通うのは流石に厳しい。一人暮らしも考えたのですが、家族で東京に引っ越すことになりました。ただその後震災の影響でグラウンドの照明が使えず、夜練から朝練になったのも辛かったです。

最初は閉鎖だった

 

怪我はつらい。冬学期(当時はクォータ制ではなく2期制でした)の期末の試験が終わって次の日から練習というスケジュール。連日の試験をなんとか乗り越えるべく徹夜が続いていて体調は最悪。その時勇気を出して休めれば良かったのですが、そのまま練習に参加し、不注意で鎖骨を折り、ほぼ1年を棒に振ることになります。パワプロでストレッチで大怪我みたいな。

つらたん

足は学年やフォワードで一番速かったのでフランカーにコンバートを一度打診されたのですが、その時断ってしまったのもよくなかったですね。結局3年生の時にフランカーにコンバートされるのですが、プロップよりもバックロー(スクラム第三列。フランカーNo.8合わせた呼び方)とかバックスの方が向いてたんじゃないかと思います。まぁ向き不向きと自分がどうしたいかが違った場合どうするかというのは大学生の自分には難しかったのかもしれません。

大学では進学振り分け(今は進学選択というのかな?)という制度があり、1~2年夏の成績で好きな学部・学科を選び点数高い人から順に進める仕組みがあるのですが、第1次で志望の電子情報工学科に通らず。第2次で同じく電気系の電気電子工学科へ。Twitterが盛んな学科に来たことが田村ゆかりさんのライブに行くきっかけをつくります。

工学部は当時901コマで1.5単位で必要な講義数が多く、電気系の研究室決めも総得点で決めるというルールだったので、なかなか。実験のレポートやらを深夜までやりこみ、そこから早起きで部活に行く、というのは私には厳しく、やがて止まらない頭痛を発症します。ロキソニンボルタレンといった薬を処方されるのですが一切効かず。部活も休みがちになり同期に呼び出されてお叱りを受けるということもありました。

3年生の時の夏合宿、山中湖で合宿した後菅平で合宿があるのですが、山中湖での合宿中にウイルス性腸炎を発症したらしく、食べ物がほとんど食べられなくなったこともありました。ラグビー部の食事は量が多くて大変で。途中で相談して病院に行けばよかったのですが、その時は菅平まで行って高熱を出しどうにもならんということで下山しました。

そんな不運が重なり、何しに大学来たんだっけと自問自答し、一学年上の先輩を最後の京大戦・その後の総会で送り出したあと休部を考えたと思います。

奇しくも今日は23日。平成時代は祝日だったこの日に京都大学との定期戦が毎年行われていました。

京都大学黄檗グラウンド。ジャージがすごく汚れる。

 

部活の時はシュタインズゲート田村ゆかりさんの声に触れた気がします。アニメから入ったような。ゲームはひたすら鈴羽ルート入ってた気がするんですよね。あのゲームなかなか複雑でメール見ないといけなかったですよね。

 

部活を休部することにし、大学4年生になり研究室に配属されました。Twitterを見ると4月くらいにゆかりんのライブがあることを知っていて、ラブライブ!にも行こうとしていたけどやめたみたいです。ライブ行ったことなかったし。Twitter学科だったので、先輩後輩のつぶやきでいろいろ知ることが出来る環境にありました。2013619日水曜日。田村ゆかり LOVE ♥ LIVE *Cute'n ♥ Cute'n Heart*初日の3日前。学科の先輩田村ゆかりさんのライブに行きたいけど用事で行けないというツイートをします。そこに、水樹奈々さんのファンでもある別の先輩の「せっかくまだチケ売ってるのに残念やなぁ...」というリプがつきます。(ん?チケット買えるのか)と思ってそこに絡みに行く私。「ペンライトはピンクで長時間のサイリウムを一本持っておくと安心」、「コール知らなくてもゆかりん本人や曲が好きなら十分楽しめる」、「fancy baby doll、チェルシーガール、You&Meあたりは最低限覚えていくといい」、「最初はコールや振りを気にしすぎて楽しめないともったいないから、あまり気にしすぎずに行ってしまうのが手っ取り早い」などなど、いろいろアドバイスをいただき、チケットを買いました。台風の懸念もありつつ例の動画(出てくるの何度目よ)やゆかりコール研究所等で予習に励むのでした。

 

ライブ当日。台風は消滅し問題なくなった様子。物販のことを何も知らない私は13時すぎに家を出ようとします。駒込から田端へ。田端からさいたま新都心へ…のはずが。乗った電車がなんと南浦和行き。未だにやります。そんなこともありつつ1415分頃にはさいたま新都心駅に到着。さいたまスーパーアリーナの物販会場に行きます。入り口からは確か階段になっていて、上から見下ろす物販会場に驚いたと思います。物販では何が欲しかったのか覚えてないのですが、欲しいものが買えず、明日も来ようかな、と上段含めて軽く思うのでした。コール本もポンポンも気になっていたけどよくわからなかったり時間が遅かったりでいただけず、またライブまでも相当時間があって中途半端な時間に来てしまったものだ、と途方に暮れました。レストランエリアを歩き回りながらピンクを身に纏った王国民でにぎわっていたり、店頭でライブ映像流してるのを見たりしてお祭り感をひしひしと感じるのでした。当時、王国民を見て怖いと感じていたようです。

 

時間が経ち、開場列に並びます。その時の空模様なんとなく覚えています。時間になると列が進み。やがて自分の番。チケットをかばんから取りだし、渡してもぎってもらう。入場。チケット記載のゲートを頭上から探し、ホールの中へ。一般のチケットで遅くに買ったので400レベルの遠い席。双眼鏡という手もあったか、と思うのでした。

いよいよ時間となり、暗転する会場。一気に咲くペンライト。あるいは桜色の大海原。その輝きに圧倒され、灰色だった世界が光を取り戻したような気持ちになるのでした。長いお話があり、曲が始まるのです。

1曲目はFantastic future。アニメのタイアップで知ってる曲!テンション上がる!周りのコールすごっ。ペンライト、そんな風に振るのか、理解した。これがゆかりはい、なるほど!2曲目。知らないけどテンション上がる曲。You&Meの系譜か。周りみんなラップしてるがわからん><おいおいこれはヤバいところに来てしまったなぁ。3曲目はYou&Me。知ってる!ちょっと練習した!しかし、いきなり本番で上手く行くはずもなく…無念。

開幕先制パンチ3連続で一気に気持ちを持ってかれた私。田村ゆかりさんの圧倒的かわいさ。MCも面白い。ただ琥珀の詩、ひとひらが最後に買ったゆかりんCDでちょっと最近のアニメタイアップ曲だけ知ってた私には知ってる曲がほぼなく、ラジオで聴いたかな?という曲と動画で見た曲が少しある感じでした。

Fancy baby doll、知ってる!これ1番はコールしないやつでしょ?!とか思っり。

yukarinlive.comさんを見ながらいろいろ思い出したりするわけですが、すごいセトリですね。

1日目終わっての感想は「ペンライトが重い。筋肉痛の予感」「楽しかった。が、コールわからんとつらい」「復習しようにも曲がわからん」など。曲については同じライブに行った先輩から2ch探せばあると言われて探したかもしれません。曲は夜のうちにmoraDL購入。良い時代になりました。曲を買った後に行かないと思ったけどやはり2日目も行きたくなり、物販も早めに行くか、と思って寝ました。

当時のmoraの購入履歴

2日目。7時に投票を済ませ、再びさいたま新都心へ。そこで物販列の長さに驚きます。どうもねんどろいどが一因とのこと。あるいは限定Tシャツ。1日目で買わなかったもの・買えなかったものをいろいろ買いました。せっかくなので限定Tシャツも。法被を買わなかったのは後悔ポイント。次の法被の発売は2017年まで待つことになります。

CCH物販。写真の日付から察するに2日目。

物販を済ませて当日券の列へ。販売開始の時間になり、窓口の人にチケットを1枚といってクレジットカードを出すと、使えません、と。なるほど。えっ。手持ちの静脈認証対応キャッシュカードはコンビニでは使用不可。三井住友銀行ATMは北与野の方。売り切れちゃったらどうしよう、と思い全速力で駆けるのでした。ぜいぜいしながら往復してチケットをゲット。500レベル1列目。500?ワクワクしすぎて待機列最前に並びました。

2日目は500レベル中央最前で全体が綺麗に見える席。My wish My loveでレーザーの上に浮かぶ田村ゆかりさんが印象的でした。

幕間のお話のラストが違って大盛り上がり、そして動画見て振りとコールを練習したチェルシーガール。誰にも負けないこの気持ち!ゆかりに向かって咲いている!世界で一番大好きな!ゆかりにもっと恋したい!!

 

2日間圧倒されてしまった私はそのままMellow Prettyの会員受付へ。会員番号は2万台。

 

良かった曲、印象に残った曲は全部といっても過言ではないと思います。人生最初のライブが田村ゆかりさんで良かった。

Gratitude良かったなぁ。

 

風が少し冷たくて

くじけそうな夜だって

大丈夫のほゝえみに

気持ち 晴れて 元気になれる

 

そう あなたに

めぐり逢うまで

気づかないで

いたことも多い

 

ねぇ おんなじ

街の景色も

二人でなら

新しく見えた

 

うまくできず散らかした

夢のパズル手にとって

ひとりなんかじゃないよと

熱く 深い 勇気をくれる

 

-- Gratitude

 

あの日自分に一番刺さった曲はEndless Story。曲もイントロから和的な響きが強く、当時後ろで流れていた動画素材も好きでした。

なんといっても歌詞。

 

どうにもならないのに

昨日に迷うとき

あなたの優しさは

光をくれる

 

 

めぐり逢いは たったひとつの

終わりのないStory

 

どんなときも そうよ

次の扉がある

どんなときも そうね

時間はすすんでる

未来は続いてくから

 

-- Endless Story

 

などの歌詞が当時どうしようもなく辛かった私を勇気づけてくれるのでした。流石17歳だよ?!ゆかりちゃん祭りで1位に選ばれただけはありますね。

 

田村ゆかりさんから光をもらい、なんとか立ち直りかけた私は研究に励むのでした。まぁ、あんまり上手くはいかなかったんですけどね。卒論は参加賞、修論は努力賞という言葉がある通り、まぁなんとか研究室の人の力を借りて卒論は出せました。

 

 

休部扱いだったラグビー部はそのまま退部することになりました。メーリングリストには入ったままだったので、田村ゆかり LOVE ♥ LIVE *Caramel Ribbon*の時に練習中止のお知らせが朝に来てて、すごい天気だけど練習やる気だったのかな?と横浜アリーナの物販列に並びながら思うのでした。2公演連続で来た台風は今度は直撃。物販待機列でずぶ濡れ。物販が進んで室内に入った途端に立ち寝しましたし、パーティーは終わらないで意識飛んだし、ライブ自体もすごかったけど体力も限界でした。

同期の最後の試合・京大戦は見に行きました

 

2018年がD.C.のアニメ15周年で、その前後で田村ゆかりさんがD.C.の曲たくさん歌ってくれてうれしかったです。

 

 

2018TPではずっと聴きたい記憶のゆりかごが突然来て、びっくりしましたし、泣いてしまって気持ちがぐちゃぐちゃでした。席が前の方で田村ゆかりさんが歌ってるのが肉眼で視認出来る距離で…。まぁ円盤には収録されなかったのが残念で仕方がないです。

 

あと少しもう少し そう君に出逢えたから

明日へと目を反らさずに 歩いて行こう ずっと二人で

 

そう君のその全てが 温もりになってゆく 静かに

 

-- 記憶のゆりかご

 

次の未来へ - Next Decade?

 

2023年はD.C.5は発売されますし、D.C.IIIの新作舞台もあるので、あの日出会ったD.C.の物語はまだまだ続いていきます。

 

昨今はご時世もあるせいか、声優さんの体調不良が相次ぎ、役の降板にまで至るケースもちらほらある中で、私が田村ゆかりさんにアニメで出会ってから10年の時に変わらずライブをしてくださり、同じくそこから10ずっと続けてくれているのはありがたいことだなぁと感じる今日この頃です。次の10年、もっとも田村ゆかりさんがいつまでライブ活動を続けて行くかは王国に生えた一介の草木には全く存じ得ぬことですが、永く続けてくれるといいなぁと思います。

この10年生き延びることが出来たのは田村ゆかりさんのおかげで本当にありがとうございます、の気持ちでいっぱいです。

 

これまで出会ってきた

 

田村ゆかりさん

 

田村ゆかりさんを支えてきたスタッフのみなさん

 

 

 

例の動画の作者さん

 

ゆかりコール研究所の作者さん

 

ポンポン工場の方

 

いつもコール本を作成し配布してくださるみなさん

 

同人誌を作って頒布してくださるみなさん

 

アドトレ界隈(?)のみなさん

 

yukarinlive.comの作者さん

 

ついったらーのみなさん

 

他界した人、ゆかりんを買い支えていたみなさん

 

いつも飲み語り合う人たち

 

全てに感謝します。

 

 

 

連れてって次の未来へ

 

-- 未来の果てにEscort

 

 

ということで、長々だらだらとお届けしました。

最終回っぽい終わり方をしちゃいましたが、アドベントカレンダーはまだちょっとだけ続くんじゃよ。

いよいよアドベントカレンダーもあと2日。

 

明日は咲楽さんの我が半生です。

どういう話が見られるのか楽しみですね。タイトルからは想像が出来ず><

 

 

こういう話がきけるのかな?

そして「ゆかり♡すたじお 今夜はめろぅぷりすます 2022」!!

私は結局メッセージ出せませんでした…皆さんのおすすめプレイス楽しみですね。来年のツアーでも日本を満喫したい!!

どんな内容になるんでしょうか。

 

始まる前には帰りたい…。

 

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メモ書き

 

まぁ、私は鹿児島出生を標榜しながら、これまでの人生ほぼ関東に住んでいるので、あんまり関係ないんですけどね。コロナになってこれまで異常にリモートワークが認められるようになって鹿児島にいる時間が増えた気がします。鹿児島といっても薩摩半島ではなく、しぶし連呼で有名な志布志とか佐多岬がある大隅半島にある大隅半島で、日本唯一の国立大学法人の体育大学である鹿屋体育大学や最近米軍が来てなにかとざわざわしている海上自衛隊鹿屋航空基地がある鹿屋市にいます。輩出した有名人はサンシャイン池崎。街一番の高校であるところの鹿屋高校出身らしいです。電車も廃線になって久しく、車がないと街には行けないので軟禁ライフを過ごしています。まぁコロナがまた流行ってきたし丁度いいといえばそう。

いつか鹿屋公演やってくれたらいいな、と思いつつ、まぁないだろうな、と思う今日この頃。りなかるというイベントで毎年アニメ系の声優さん・アーティストさんとか来てもらってイベントやってたりもするので土壌があったりなかったり。

鹿屋は無理でも鹿児島はなんとか来てくれたら…。福岡-熊本が100kmでちょっと寄る程度なのに対し、熊本-鹿児島が200kmなのでちょっと遠いんですよね。あと、熊本の高速道路はトンネルがたくさんあってつらいです。そして長い。まぁいうだけならただなので。

鹿児島からも乙女モードが聴ける。そう。radikoプレミアムならね。

 

去年がラグビー部創部100周年で秩父宮でやっていて、その日D4DJのライブが日本青年館で近く通ってマジかとなった。

 

ラグビーって試合があると結構な頻度で救急車がグラウンド脇まで乗り付けてくるぐらい怪我が多く、メンタルも消耗するのでプレーが続けられない人は多いです。途中で抜ける人(私もですが)、なんとか休部を経て戻ってくる人、膝や腰を壊してスタッフに回る人、度重なる脳震盪が怖くなってレフリーになる人など。

現在はメンタルをケアするような、よわいはつよいプロジェクトなるものが存在します。

健全な精神が健全な肉体に宿ればいいのに、とあるとおり、人生は厳しい…

 

 

当時のツイート振り返ると研究大変そうでした。半導体レーザから光ファイバのループに光を入れてモード同期させソリトンを作りたかったのですが、なかなかうまく行かず、四苦八苦していた記憶が蘇ってきます。結局修士になってもモード同期させられなかった思い出。ここが上手くいってれば博士まで進んでたんでしょうけど。卒論は研究室の人からモード同期した回路をもらい、非線形ファイバを通して発生させたスーパーコンティニューム光の特性がよく、その光を使ってSD-OCTを行ったら良い感じだったのを出しました。修論iPhoneで流行ってるLiDARの光源に光デジタルコヒーレントを用いることで、従来手法では基準点を境に折り返しが発生していたものを折り返しを取り除いて通しで表現出来るようになったのでなんとかなりました。上手くいかないなぁと悩んでから変調器への入力の繋ぎ方が間違ってるのに気づくのに大分時間がかかり大変でした。光ファイバ回路に再現性ないなってちょっと思っちゃいましたね。

 

田村ゆかり LOVE♥LIVE *Fruits Fruits ♥ Cherry*以来のツアー、それとアビスパ福岡の遠征で日本全国割と回ってきてどんどんdeepなところに来ている気がします。昔は学生だったのもありますけど、お金使えるようになってレベルが上がってきたような。あと酒に詳しくなってしまった。単発ライブでも、最近は横浜もいろいろあるなぁと思ってきてるので財布がぴんち。

 

来年はラグビーW杯があるからよろしくな。めろん

ツアーの追加公演が被りそうで怖いなぁとなっています。あと旅費…。